熱風と花火

岐阜県美濃市の最高気温が全国一位となった昨日。
外気は常にサウナのような熱風がふいていた。
冷えた室内から出る時のむせ返るような寒暖差。
ムワッと来る、これが岐阜県の夏だった。

夜、中学生ぶりぐらいに地元の花火大会に出かけた。
娘と二人で歩く。
そうか、こんな景色だったという記憶を頼りに灯台下の河原に座り、対岸から打ちあがる花火を見る。

正直に言えば、花火そのものに感動することは少なくなり、それほど見たいかと言われたらそうでもない。
それでも来たくなったのは娘に見せたかったからだ。
これはあらゆることがそうなってきている。
自分の中で「体験」の後の「追体験」までやってしまったものは、そこからさらに体験するモチベーションはそうなった。
じゃないと、なかなか動けない。花火を見上げて声をあげる娘ばかり見ていた。

一人、家の近くから出る高速夜行バスに乗り6時間。
明け方の新宿西口に到着。
腰と首がバッキバキだ。どうにかしてくれ、高速バス。
しばらく東京で暗躍します。


野沢尚のこと

蚊取り線香に燻され続けている。
このまま燻製になってしまいそうだ。

昨晩、野沢尚の短編小説「ふたたびの恋」を読んでいて、あの夏のことを思い出した。
大学4年の夏。
御茶ノ水校舎にアートスタジオという劇場があって、そこが学生時代のフルタ丸のホームグラウンドだった。
第4回公演『鹿を洗え』という珍妙なタイトルの演劇を創っていた。
無料だからと劇場を無駄に2週間押さえて、ダラダラとセットを建て、ダラダラと過ごしながら、ゆるやかに本番へと突入していく。
ハレとケもない、今では考えられない時間の使い方をしていた。
そんなレイジーな飯時に、当時のメンバーの誰だったか忘れたが「野沢尚、死んじゃったみたい」ということを言い始めた。
「えええ!?」
と声に出したい気持ちを堪え、努めて冷静に耳をそばだてていた。
どうやら自殺らしいと知ったところで、家に帰りニュースを見て落ち込んだ。
確か数カ月前に、パルコ劇場で野沢尚が書いた脚本「ふたたびの恋」という舞台を観たばかりだった。
その日は初日公演で劇場ロビーを歩く本人を目撃。「野沢尚がいる!」とザワザワした。
中学、高校とテレビドラマばかりを見ていたせいで、僕の中のスターは俳優よりも脚本家だった。

書いたものを見ただけで、クレジットを見ずとも書き手が誰なのか分かるもの。
作家性ということになるんだろうけど、そういうものがある人を追いかけてしまうね。


炎と刀遊具

帰省すると、余程のことがない限り毎朝走る。
東京での不摂生を夏の間に帳消しにできないかという目論見だが、成功した試しはない。
走るために訪れた中池公園で目の当たりにした巨大遊具がカッコ良かった。
地場産業の関鍛冶をイメージした炎と刀遊具がモチーフになっている。

写真で伝わりづらいが、なんかもう巨大なアート作品のようにも見える。
各自治体が威信を掛けた巨大遊具を創り、広い敷地にたくさん集めたランドできないかな。
帰宅して、朝飯を食い終わっても8時。一日が早く始まる。
実家の離れに仕事部屋を構えて仕事をしながら、時々娘の相手をしている内に陽が暮れる。
読もうと思って持って来た本はほとんど読めてない。
昨日は2021年の大仕事になるかもしれない打ち合わせがあった。2年後の話。
話をもらってこれはすぐに自分がやるべき仕事だと思った。というか、やりたい。
そういう直感が沸いたからこそ実現させたい。プレゼンは来週。


岐阜に入り、夏に入る

昨晩、台風が東海地方から関東方面に向かう中、娘と二人で帰省することになった。
祖母の3回忌だ。
娘を引き連れて向かった藤沢でラジオの仕事が終わり、在来線、新幹線、高速バスを乗り継いでいく。
時間が絶妙にかち合わず、全てにおいて待ち時間が多い移動だった。

激疲れた娘は、全ての乗り物の中で完璧に眠っていた。
こいつ、やるなぁと思いながら、僕も眠りたかったが、乗り過ごすことが許されない。
ユーチューブで佐久間さんのオールナイトニッポンを聴きながら耐えた。
バスは真っ暗な地元に向かって進んで行く。
家に着いたのは23時半。
そして、今日。天候は台風を挟んで、一気に晴れ間が出てきて、完全なる夏。
法事も終わり、娘は岐阜の田舎で過ごす19日間が始まった。
「ぼくのなつやすみ」的「わたしのなつやすみ」だ。
僕はしばらく岐阜にいるが、娘を置いて東京に戻り、その後また岐阜に来る。
行ったり来たりの8月。
夏は娘ファースト。
今年はいつも以上にそれを考えてスケジュールを組んでいる。
娘を泳げるようにしないといけない。
これは自分に課せられた夏の宿題。


時を越えて来やがったチケット

ワケあって、大学生の頃の開かずのシステム手帳を開いた。
授業をさぼるための出席カードとか出て来る中、当時の観劇チケットが大量に出て来た。本当に大量。
一枚一枚、確認しながら呆然とする。

はっきり憶えている。
大学1年生の時に「演劇学専攻」に入ってしまったはいいが、
演劇にまるで興味ないし「どうすりゃいいんだ?」と皆目見当がつかない日々を送っていた時、
今は無きシアターアプルで宮藤官九郎さん率いるウーマン・リブの公演『キラークイーン666』を観に行った。
前売りは完売していて、当日券に何時間か並んで買った。決して安くない値段。
生まれて初めて演劇のチケットを自分で買って見に行った芝居だった。
その時のチケットが残っていた。
観劇した帰り道、「おれも、演劇やってみよっかなー」みたいな気分が急にこみあげてきた。
その足で松屋のバイト面接を受けることになっていたけどサボってソワソワしながら近所を歩いた。
翌年、劇団フルタ丸の旗揚げ公演をやることになるのだけど、そのチケットも出て来た。どうなってんだ。

1,000円というチケット価格も何を根拠に決めたのか思い出せない。当時は予算という概念を持っていなかったから、雰囲気で決めたんだろう。
当時のメンバーが手作りした消しゴムはんこが押してある。そのハンコの実物まで出て来た。まだ押せる。
物質は強い。
手に取れる物質でこうやって向き合うと一気に引き戻される。
振り出しに戻ったような気分だ。
やろう。


富士山を見るキャンプ

春のキャンプへ行ってきた。

先月も行ったので一カ月ぶり。
短いスパンで行き過ぎか。
いや、どうしても行きたくなる。
去年から事あるごとにキャンプに行くようになってしまった。
古田家に誕生した家族をあげての趣味。
ぼく、おくさん、むすめ。
3人から注がれるエネルギーで言えば、ぼくが圧倒的に多い。
富士山が望めるキャンプサイト。
東名高速で行き、中央道で帰ってきた。
よくよく考えたら、目的を持って山梨県へ行ったことがなかった。
今までは通過する県だった。
富士山の存在感はすごい。どこにいても追いかけて来た。
この近辺に住んでいる人は46時中これを感じ続けながら生活していることになる。
今の僕には想像の範囲外。慣れるものなのか。

「キャンプとは何かね?」と哲学めいた問いを投げ掛けられたら
「外で朝と夜を迎えることだ」と答えるかもしれない。

数時間、数十分で、空の色が変わる。

ただこれだけの事に面白味を感じる。
どうかしている。
楽しみを見つける角度が無数にあるせいか、依然として分からないことだらけ。
未整理。未完全。キャンプには「未」という感じが似合う。
次のキャンプは夏か。計画を立てなければ。


おはようインコさん、始動


4.29の本多劇場で開催する「おはようインコさん その5」まで、残り一カ月!
昨晩は撮影だった。詳しくは言えないけど、こういう試みはかつてのシリーズでも初。
お客さんにどんな反応をしてもらえるか楽しみ。
撮影が終わった後、謎めいたタイ料理屋で食事。外観は20点、料理は90点。
美味いタイ料理を食べながら、映画の話や実弾生活の話やフルタ丸の話。
話題の中心には、何かしらの作品。
これは豊かなことだなぁと感じながらシンハーを飲んだ。
観て、作って、寝かせて、語って。作品はいつでも縦横無尽に色んな角度から楽しめる。
観劇後のあーだこーだ含めて。
インコさんのスタンダップコメディライブは春にぴったりだと思う。
春特有の憂さを吹き飛ばしてくれる。
観劇後は、このライブを肴に下北沢で飲んで下さい。
「おはようインコさん その5」
本多劇場
4月29日(祝)17時開演
チケットのご予約はPassMarketで絶賛受付中です。お早めにお取りください。
明日から稽古開始。
演出が一番最初の客になるということを心掛けて臨みます。


最終講義


みぞれ交じりの曇天。
逃げたはずの2月が周回遅れの3月に追いついてしまったような天気。
宮脇俊文教授の最終講義を受けるために成蹊大学へ向かった。
大学時代からフルタ丸を気に掛けて頂き、今でも交流のある先生が大学教員としての引退を迎える。
「最終講義」
それにしても響きがかっこいい。
積み重ねた時間を感じさせながらもどこかサラっとしている。
「四文字熟語でカッコイイものを出せ」と言われたら、今後僕はこれを出す。
実は僕は先生の授業を受けたことが一度もない。
大学当時の劇団メンバーに先生の授業を履修している者がいて、それがきっかけで観に来て下さった。
それからちょくちょくとご飯を食べる間柄になり、その場こそが僕にとっての授業だったのかもしれない。
先生はフィッツジェラルドなどのアメリカ文学を中心に、村上春樹の研究者としても第一人者。
村上春樹の新刊が出る度に読んでは、食事をしながら先生に質問をしまくっていた。
とても贅沢な時間だった。
母校ではない大学に足を踏み入れ、講義が行われる教室を探す。
自分は部外者であるかのような、どこか後ろめたさがある。
教室に着くなり、ノートを広げてボールペンをセッティング。
最終講義の時間を待った。
最終講義のタイトルは「周辺の文学者として」。
講義が始まった。
“周辺の”この形容詞に尽きる。
込められた意味と想い。
それをひも解きながら、フィッツジェラルドの話、村上春樹の話。
マイノリティーへの、弱者への、はみ出し者への、まなざし。
それはまさにフルタ丸で僕が描き続けているテーマでもあった。
ロマンに彩られた最終講義が幕を閉じた。
「ロマンは現実を越えてしまう時がある。現実を無化できるチカラがある。」
そんなことをブツブツ言いながら、成蹊大学のキャンパスを歩いた。
つかの間、大学生に戻ったかのようだった。
宮脇先生、30年間お疲れ様でした。


これは、フルタのホームページです

主のフルタです。
劇団のホームページとは別に、自分のホームページを持つことに決めた。
自分がやっている色々なことを、整理してみようと思ったのだ。
整理は、そのままクライアントに対して「フルタジュンという人間」のプレゼンにもなっている。こういう奴だ、こういうことをやってきたのか。こんなこと考えてるのか?と知って頂きたい。
そもそも2002年、大学2年生の時に劇団を作った。同じ年にTBSラジオのJUNKで「さまぁ〜ずの逆にアレだろ」という番組の立ち上げに作家として参加させてもらった。今も劇団をやりながら演劇の仕事や作家の仕事を続けていることを考えると、17年間、僕のベースは基本変わってない。大学卒業後も、その延長線上で色々なことをやらせて頂いて来た。
捨てる神あれば拾う神あり。
ほんとにそう思うのだけど、これまでなんとかやって来られたのは、仕事のオファーをくださる方々のおかげでした。今、やらせて頂いている仕事や過去にやらせて頂いた仕事なんかも、全部ではないけどいくつかまとめてみた。フルタのコメント付き。(プロフィールには一覧も載せている)
あと、大学生の頃から色んなサイトで書き散らして来たブログも、このホームページ誕生を機に、ここに書いていくことにした。作っている作品の裏側とか解説、そういったことなんかもライナーノーツ的に書きたい。なので、覗いてもらえると嬉しい。
さて、30代も後半に差し掛かった今。
次なる山に向かいます。
本気だ。


帰省の夏が終了する

帰省の夏が終了する

帰省の夏が終了する
いま、デジタルであらゆることが進歩してるけど、花火っていうのは全く変わってないな。手持ちの花火に火を付けようとして、全然付かないじれったさとか、打ち上げ花火の導火線に火をつけて「にっげろー」と離れるせわしなさ。けど、ボタンを押して火の粉がふいてもつまらないし、遠隔操作で花火が上がっても楽しくない。僕らはもうすでに完成されたものを繰り返し繰り返し時を越えて楽しんでいる。この類は無くならない。きっと花火のスタイルはこの先も同じだ。
帰省の夏が終了する。今年は途中で東京に戻ったりもしたけど、延べ10日間ぐらいいた。仕事しながら、高校野球が気になり(昨日の試合で金足農が完全に勢いに乗った)、時に走ったり泳いだりして過ごした。東京で全く運動できていなかった分、いい気分転換になった。東京に戻ったら運動と岩盤浴。これは決めた。あんなに暑かった美濃の夏も、昨日から驚くほど涼しい。朝なんか少し寒いぐらい。どうした?あんなにも暑かったのに、もう秋がしのびこむように近づいた気配。
これから娘の自転車に乗る練習に付き合う。昨日から各段に進歩した。親として今までサボっていた分、この帰省で取り戻そうと試みた。帰京したら、18時からの生放送『らぶ&MUSIC』。何を話そう。