ルールの中に自由がある

最近の娘の一日はこうだ。

・起床
・朝飯食う
・宿題やる
・ピアノの練習やる
・昼飯食う
・ディズニーシアター見る
・スライムつくる
・テレビを見ながらフラフープやる
・夕飯食う
・就寝

時間がありまくるので親が何かしらの課題を与えないとダラけまくる。
精神衛生上よくない。
自由の価値さえ崩壊してしまう。
やはりルールがあって自由がある。
物語を作るのと同じだ。

「運動不足を解消するためにフラフープや!」

と言ったところ、なぜか1時間くらい延々とやるようになった。
なんかストイックになっている。いいぞ、娘。

写真はまったく関係ない。
僕の好きな近所の熊本らーめん。


フルタ丸を極める

去年末、きむけんに撮ってもらった劇団写真の一枚。
6人のメンバーで写真に収まる時、いつからか僕は端に立つようになった。
メンバーには言ってないが、端がカッコイイと思ってるからだ。
根拠とか一切ないのだけど、そう思い込んでいる。俺だけか?
誰にも譲るつもりがない。
目を凝らせば、走る小田急線まで見える。
電車はこのまま世田谷代田駅、下北沢駅へと滑り込んでいく。
奥に富士山は見えないけど、見える日もある。
嬉しくなる構図だ。
自分の生活と大事なものがこの一枚になんとなく入っている。
気がしてくる。

世の中がこういった状況になって色々考えていると、劇団のことにたどり着いてしまう。

「フルタ丸を極める」

そのフレーズ。何を今更。
そのフレーズ。しかし、そういうことだろうなと。
今日も事務所で呪文みたいに唱えながら。そのフレーズを。


フルタ製菓で浮足立つ

念願だったフルタ製菓のクリスマスセールに参加して来た。

西荻窪の住宅街を抜けた先にある東京営業所は、よくわからない熱気に満ちていて、お客さんもお菓子を売る社員さんも、何もかもが素晴らしい次元でうごめいていた。
一言で言うならば、シアワセな空間と時間。
年に2日間だけの特別なセール。
店頭の販売員ではなく、社員さんがお客さんとダイレクトに接するのも妙なあたたかさを演出している。
許されるならばずっといたかった。もちろん、僕も大量購入。とても冷静じゃいられない。皆が完全に浮足立っていた。

フルタ製菓といえば、セコイヤチョコレート、チェコエッグなどヒット商品は数あれど、やはり大傑作は「生クリームチョコレート」だと思っている。

これはブルーべりー味。紫の包み紙にアルファベットで「Furuta」の文字。しびれる。

日本で買えるチョコレートの中で僕はこのチョコレートこそがナンバーワンじゃないかと本気で思っている。
そろそろフルタ製菓とフルタ丸、コラボしたい。
2020年の宿題だ。


あのタイムマシーンに乗ってしまえば

母校「岐阜県立関高等学校」が2年後の2021年に創立100周年を迎える。これまでにないあたらしい100周年の式典を創りたい。

そんな相談を受けたのは夏だった。

帰省して話を伺った時、その想いを聞き、ぜひお手伝いしたいと思った。自分が今までやってきたことで、それがこんな形で母校への恩返しとなるならばぜひ協力したい。そして、少し泣いてもいた。そうか、こんなふうに自分みたいな人間が役立てるのか。ならば、これは現時点での僕の一つの集大成となる取り組みかもしれない。

会場は2500人を収納するアリーナ。

100年間の卒業生達が、在校生達が一同に会する。これを逃すと、次はさらに100年後の2121年なのか。先過ぎてよくわからん、確実に生きてない。とにかく100年という区切りはもう二度とない。

演出プランの企画を考える日々が始まった。

それを資料にまとめて、昨晩、高校で式典実行員の方にプレゼンをしに行って来た。場所は彩雲館。そうだ、ここで高校三年生の時にクラスでドラマを撮ったんだった。20年前のことが一気にフラッシュバックしてくる。どんどんエモーショナルな気持ちが沸き上がってくる。高校時代、高校時代、高校時代。あの窓。あの廊下。あの下駄箱。そうか、ここに自分の高校時代があったんだな。気付いたら、用意していなかった熱いことまでどんどん話してしまっていた。

企画は通った。

壮大なことをやりたい。今までにないことをやりたい。そして、僕にやらせて頂ける限り、楽しいものをやりたい。2年後の実現に向けて本当に色んな方の協力が必要で、僕はこれから同級生や世代を越えた同窓生や先生方や在校生に、どんどん会いに行く。一緒に企む。そういう2年間が始まる。

2500席を満員にしてぇ。


あの頃と現在と

昨日の興奮が冷めやらないです。

ここ最近、毎日が「今なのだ」「今やるんだ」という緊張感の連続があって、有難い。
これはどう考えても、自分一人で立ち回れるものじゃない。
メンバーがいて、応援して下さる方がいて、その中で僕はもがき踊っているにすぎない。躍らせて頂いている。
でも、そうか、こういうふうに選択して、生きていけば良かったのかもしれない。

別に格好つけてるつもりはなかったけど、僕はまだまだ格好付けていたんだなと思った。いつの間にか格好良く踊ることばかり考えていたな。
大学を卒業した後、友人のO君から「淳くん、変わったな。書いてるブログもなんか変わったよ。いま、おもしろくねぇわ」みたいなことを言われた。
とっさに「変わってねぇわ!」みたいに言い返した。
あの時、ムカついたんだけど、変わってしまっていたんだろうな。見透かされていた。
大学時代は毎日ブログ書いてた。卒業後の僕は、なんかつまんない文章書いてたんだろうな。
就職活動もせず、どうなるんだ自分?を正当化することで必死だった。
もう一回、書けるのか、僕に。いや、書いていきたい。
今、そういうことを痛烈に感じている。

クラウドファンディング、現在106%まで達成しました。本当にありがとうございます。
応援して頂いたお金は、すべて作品の映像化費用とリターンの製作費として大事に使わせて頂きます。

あと2日間。28日の23時59分まで。ギリギリまでもがきたい。御支援よろしくお願いします。

「下北沢演劇」を世界へ!50分ワンカットで『梟の服』を映像化したい!
https://camp-fire.jp/projects/view/193683

写真は大学4年生の時、4年間住んだ部屋から引っ越しする時の自分。


本音を書きます。

昨日、フルタ丸のメルマガに書いたことをブログにも載せようと思う。
あの時、自分の中に沸いてきた感情から逃げ隠れもせず、本音を書きます。

下北沢をホームグラウンドにして演劇活動している劇団が世界進出を目指す。

おそらく、そういった劇団はほとんどいません。
それはこの街で上演されているタイプの演劇表現がアート文脈にないものが多いからというのが僕の思うところです。

今年2月、僕は忘れもしない。

ある所で、ある人に向かって、僕は「海外進出したいです。世界のお客さんを楽しませたいです」と言ったことがあった。
それを聞いた見識と立場のある、その演劇関係者に面と向かってバカにされた。言葉の端々に、下北沢演劇そのものへの嘲笑と中傷もあった。あれは本当に悔しかった。

「じゃあ、あんたが好きなアート演劇とフルタ丸演劇で勝負せぇへんか?しようや。一騎打ちでええわ。同じ劇場で、同じお客さんの前でパフォーマンスさせてくれ!絶対に負けないから」

なぜか途中関西弁になってしまったけど、その言葉がもうすこしで喉から出て来そうになった。それぐらい腹が立った。悔しかった。はっきりと「海外の市場に君らのポジションはない」みたいな言われ方をした。

そんなのやってみないと分からないじゃないか。そのチャンスが欲しいと僕は食い下がった。

けど、ダメだった。まるで相手にされなかった。僕はメンバーと作り上げて来た劇団、作品、作風に自信を持っている。
そこに謙遜だったり遠慮することがどうしてもできない。だって本当に自信があるから。その自信は時間を掛けてお客さんと一緒に築いたものだから。
目の前の人を楽しませる、誰かの眠れない夜に忍び込む。僕らはずっとそういうものを創ってきた。
それを下北沢でお客さんに届けることができた。それと同じことが海外でもできるんだってことを証明したい。

そして、下北沢で活動している劇団の方々が「え?フルタ丸が行けるんなら、俺たちもイケるっしょ?」みたいな軽い感じで挑戦してほしい。
その挑戦が誰にも馬鹿にされない。そういうものになってほしい。
そうなったら始まるぜ、下北沢演劇の逆襲が。

「下北沢演劇」を世界へ!50分ワンカットで『梟の服』を映像化したい!
https://camp-fire.jp/projects/view/193683


M-1挑戦を終えて

浅草の雷5656会館で、M-1グランプリの2回戦に挑みました。劇団写真、残念ながら敗退しました。応援して下さった皆様、ありがとうございました。

思えば8月頃、カメラマンのタカハシアキラさんが「M1に挑戦したい」とツイートしていたのを見て、本当に何気なく「いいね」を押したのが全ての始まりでした。単純に頑張ってほしい、そう思ったんです。が、まさか38歳の自分がそこに相方として出場することになるとは思ってもいなかった。

「漫才は聖域」

僕の中で、ずっとそう思っていた。素人が気軽に触れてはならない。大火傷する。そんなふうに思っていた。松竹芸能で芸人さんに授業しながらも、コント、ピン芸、コント漫才は教える言葉を持っていたけど、しゃべくり漫才だけは教える言葉が僕の中になかった。
M1グランプリの大会は全部見ていてエンタメショーとして大好きだし、そこに人生賭けて挑む芸人さんを尊敬しているが故に僕にはできない。そう考えていた。なのに、タカハシさんから「一緒に出ない?」と誘われた時、僕はあまりにもあっけなく返してしまった。

「出ます」

あんなにも頑なだったのに、自分ではない誰かの提案に全力で乗っかていた。何が言いたいかというと、直感的に出るべきだと、言い訳してんじゃねぇ!と思ってしまったから。そんな選択をしてこなかった自分は漫才をやると決めていた。

この2カ月半、漫才のネタ打ちがあったり、漫才稽古があったりしたことが新鮮だった。予選会場の狭い楽屋に溢れ返る芸人さんたちの姿。壁にむかってネタ合わせをしている姿。テレビに出て売れていようが売れていまいが関係ない。同じところにいて、同じように緊張していた。舞台袖、自分達の番が来て、センターマイクに向かっていく。あの直前。あの直前の、ゾクゾクする感覚は一体なんなんだろう。他に似ているものが、僕は何も思いつけない。特別な時間だった。本当に素晴らしい演芸だと思った。そして、芸人さんはやっぱりカッコいい。売れていても売れていなくても関係ない。かっこいいと思う。そして、「しゃべくり漫才とは何か」の尻尾を少しだけ掴めた気がする。僕の中に少しだけ言葉を持つことができた気がする。

M1挑戦は最初で最後。明日からはキャンプが好きな演劇おじさんに戻ります。


ブランドの終焉、さらばツモリチサト

気が付けば、準備に奔走していた8月が終わる。
今まで何もかもとにかくスピード重視だった。
思い付いたらすぐ世に出したい欲が強すぎたのかもしれない。
もちろん今もあるので、8月はそういう悶々は確かにあった。
しかしながら、一個ずつ自分の取り組むことを整理して一カ月過ごして来た。
9月は色々な情報を出していくことになりそうだ。
寄り道しているほどの余裕はあまりない。
時間は掛かっても決めた直線コースを行きたい。

8月25日にツモリチサト青山店のCLOSEを見に行った。
枠の中にいるのは、一緒にいった山田伊久磨。
ツモリチサト都内にある店舗はすべて閉店。海外向けには秋、冬まではやるみたいだが、それもそこまで。
ブランドの終わり。
もうずいぶん前から、ファッションはリアルクローズからファストファッションの流れになっているけれども
こういった一世を風靡したデザイナーズブランドの終焉は訴えかけて来るね。
服ってなんだろうな、なんだろうね、やっぱ面白いなと。
デザイナーズブランドとファストファッションは、エンタメとアートの攻防に似ている。
だから好きで面白くて、僕は「梟の服」で描いている。


演劇小僧たちに付ける薬はない

撮影で山へ行って来た。

やることやって夜。
火を囲み、真っ暗闇に向かって石を投げ続けるような時間。
ありそうでなかった、こういう時間。
演劇小僧のまま大人になってしまった人間は大変だ。
演劇の話を始めたら尽きることがない。

ハラが減ってきて遅い時間にチキンラーメンを作り出した。
思いのほか、麺が水分を奪いまくり思っていたようなチキンラーメンではなくなった。
が、そんなことはどうでも良かった。
そんなものでも「美味しかった」ということになってしまう何か。

結局、語れば語るほど、己の理想的な演劇とは何か?という命題に集約されていく。
僕もそう。そういう年齢か。

そのコダワリを捨てながら年を重ねられる人とそうでない人がいるならば
自分はどー考えでも後者になっている気がした。今更もう変更が効かない、な。
このまま行くしかなさそうだ。

このメンバーで無人島に行ったとして『キャストアウェイ』みたいなことになるなら、やることは演劇。
夜の砂浜で月明りの下、新作を作って永遠に稽古。飽きたら次の作品を創り始める。そこに際限はない。
ということを本気で考えてしまうぐらい好きなんで、付ける薬はない。


山のような山

東京で一週間。
誰かに会ったり打ち合わせしたり自問自答したりでせわしなかった。暑さのせいで記憶は断片的で、何もかも遠い昔のことのようにも思える。
まいった。本当にまいったよ。
とりあえず、アマゾンプライムで見始めた海外ドラマ「ボーイズ」が面白くて仕方ないことは確かであり、甲子園が始まったので「熱闘甲子園」を見る日課が増えた現実。
カメラを向けられる高校球児は「クサイだろ」と突っ込まれても仕方ないことをバンバン言う。
けど、それがクサくならない。甲子園という圧倒的なスーパーリアリティーを生きる主人公達には至極当然のセリフになる。説得力がある。

つまるところ、そういうコトだ。説得力をいかに持つのか。

昨晩、青山で実店舗としての「匠大塚」を見つけた時はテンションが上がった。

ちゃんと勝負に出た場所で店を出してることも嬉しかった。ここにも説得力があった。

というわけで、今朝、夜行バスで奥さんと美濃に到着。娘と一週間ぶりに会う。
小生意気に拍車がかかっていた。さすが小三。いいぞいいぞ、どんどん行け。

これは、山のような山を目の当たりにした十六時。